“意識”には実体があって様々な能力を秘めている。それを事実認識し能動的に使うことで全分野で新発見がされるだろう

 私が最初にこのことに気が付いて研究しだしたのは今からおよそ25年前です。全体像が見えてきてブログを書いたのが11年前。その後実体験で知った新事実を加筆し、今回新たに発表します。

 ある日、私がペンダントの水晶をじっと見つめていたら、頭の中が冷たく、清浄になったのに気が付きました。感触としては硬質な感じです。比較のために色々な物もじっと見つめてみたところ、頭の中で感じる感触は、材質によって違いがあることがわかりました。水晶と見た目は似ているけど、非晶質(アモルファス)であるガラスは、頭の中が冷たく清浄になることはありませんでした。硬質な感じは少ししました。木をじっと見つめたときは暖かい感じがしました。プラスチックは中間的な感じがしました。

 またある日、私は水晶のペンダントの1cm上から視点を徐々に水晶に近づけ、水晶の中に入れてみました。頭の中の感じは、空気の柔らかく、もやもやした感じから先述の冷たく清浄で硬質な感じに変化しました。視点が水晶に届き、中に侵入する段階で、”意識”はいわば抵抗感を感じ、侵入するのに力を必要としました。

 次に同じことを目を瞑ってやってみました。目を開けて視点を空気中から水晶中に移動させる代わりに、目を瞑って”意識”を空気中から水晶中に移動させました。そうしたところ、頭の中はモヤモヤした感じから冷たく清浄で硬質な感じになりました。

 私はそのことではっきりと認識しました。”意識”はそれが滞在する場所の情報を集めるのです。ここでいう”意識”は、意識があるとかないとか通常我々が言っている、脳内の機能や抽象概念を指しているのではありません。目で見ているものに滞在する”意識”の集中点を指しているのです。この”意識”の集中点のことを精神世界に詳しい人達が何と呼んでいるのか、私は知りません。どういう訳か本には全く書いていない(今は大変な事情が隠されていることが分かっています)ことなのです。そこで便宜的に”“意識””と呼ぶことにします。

 私は新しく知った”意識”について、面白がって色々実験する中で、鏡に”意識”を集中する実験をやってみました。鏡を斜め前に置き、”意識”を頭の中の中心にまず置きます。それから目を瞑って”意識”を前に徐々に移動し、鏡の表面まで移動させました。そうすると頭の中の感触は、最初は脳の柔らかい感じ、次いで抵抗を感じて額の頭蓋骨内へ侵入、次いで空気中に出て柔らかくもやもやした感じ、そこを渡り切った後、鏡表面の抵抗面を感じました。

 次いで私は、”意識”を鏡の表面から、鏡に映った私の後ろの壁面の画像に移したのです。その時の頭の中の感触は、鏡面の少し硬質なツルツルから、壁面のバリバリモゾモゾに瞬時に変わりました。

 今度は同様のことを目を瞑ったままやりました。やはり頭の中の感触は少し硬質なツルツルから、バリバリモゾモゾに瞬時に変わりました。

 このことで分かることは、”意識”は、空間的に連続的に移動させることもできるが、普段は見ているものから見ているものへ、不連続に移動するということです。更には目で見ず、頭で考えただけでも対象物に不連続に移動するということが分かりました。私の後の経験によると、この連続・不連続な移動は、空間的だけでなく、時間的に過去へも未来へも行われるのです。

 このような”意識”の働きを知った後、私は日頃から”意識”を操作して、身の回りのことから遠くにあることまで、色々なものの情報を集めました。

 例えば、宝石が本物かイミテーションか見分けるのは容易ですし、もう少し高度なところでは、ある女性に頼まれたことですが、その人に合う宝石と合わない宝石を宝石図鑑で見て○×△を付けていくということを請け負いました。図鑑に載っている宝石とその女性の映像を頭の中で重ね合わせて、感触を比較するのです。ここでいう”感触”は、宝石や人物が総体として発するエネルギーで、バイブレーション(振動、波動)と呼ばれています。

 それから、例えば、暗い夜道でおぼろげに見えている人が、男か女か”意識”で調べるということもやりました。女なら頭は力を吸収する感触、男なら力に反発する感触、子供なら中間的な感触です。LGBTQの人は外見通りの感触になっていません。女性二人で歩いていても、その一人の頭が疑似的な男性の感触であることがあります。

 ”意識”によるエネルギーの観察対象には動物や植物も含まれます。私は散歩中の犬のエネルギーや、咲いた花の放つ開放的なエネルギー、木々や草の放つエネルギーの違いなどを楽しんでいます。

 ”意識”による情報収集(エネルギーまたはバイブレーションの観察)に慣れてくると、物事の真偽がバイブレーションの違いで分かるようになりました。病気になり、その能力を失いましたが、以前健康な時は、ワープロを打っていて、打ち込んだセンテンスが、正しいか間違っているかが逐次把握できました。もし言い過ぎた時は、誤っているのが伝わってくるので、それに従い、修正したり、表現を弱めたりしました。

 ”意識”は他人の”意識”のある場所もわかります。それで分かったことですが、皆の”意識”は必ずしも見たもの考えたものの所に滞在するわけではないことです。人によっては、”意識”がその人の脳内から動かないこともあるのです。”意識”は体の器官に滞在すると、その器官の活動を活発にするので、脳に常に滞在する人は、頭脳労働を仕事にすべき人です。私の昔の知人のある東大卒の秀才は、”意識”が前頭葉にこびりついて動きませんでした。

 私は大病する前占い師もしていましたが、その頃は、”意識”による観察の能力も発達して、”意識”を集中した時、中空の1点だけでなく、その周辺空間の情報も集められるようになっていました。ただ、私は、テレビで見るような凄い占い師のように、水晶玉を通して遠隔ビュウイングを鮮明に見るようなことはできず、情報を伴った疑似映像として見るのが精いっぱいでした。

 ”意識”の機能は観察能力だけではありません。気功の世界で意念という言葉で表される、“気(エーテル)”への働きかけが出来ます。私は鍼灸専門学校で気功研究会に所属していましたが、体の内部や外に出た”気”を念力で操作するように、”意識”で操作できるのです。”意識”で気が感じられることが前提ですが、動かしたい気に”意識”を合わせグイと力を入れれば、気の向きを変えたり、動かしたりできます。

 私にはその能力はありませんが、念力も事物への働き掛けかもしれません。念力が使える人に伺いたいところです。

 それだけでなく、”意識”はアストラル界の事物に働きかけるのに用いることができます。

 例えば、アストラル界に五芒星を描こうとすると、普通は、指先に力を込めた状態で手を動かして描きますが、”意識”を訓練しておけば、”意識”を動かすだけで五芒星を描けます。

 チャネルのチューブに働きかけるときは、”意識”による操作ができれば、それを切断したり、引っ張たりできます。なぜなら”意識”で対象を観察しながら、操作も同時にできるからです。体の諸器官、例えば自分のチャクラを微妙に動かしたい場合などは、恐らくもう手では動かせないでしょう。

 ただし、”意識”による操作の詳しいことは書けません。公にすることが良いことかどうか分からないからです。興味を持った人はご自分で試し、”気付き”を経て開発してください。ただ、これだけは言えます。”意識”の重要性に気付き、活用することは、人類の能力と認識の不可避な進化の方向です。

 電話の向こうの電話占い師に”意識”を送られて、私とその周囲が観察された時、映像と感覚の中間的な感じで、その”意識”の姿を捉えたことがあります。その”意識”は数センチ位の光の束のようでした。捩れていたかも知れません。一般人の”意識”に比べて硬質でした。恐らくエネルギーの低い状態にシンクロするよう調整して、想念レベルではなく、物質レベルでそこに居る人の姿や部屋の光景、その他形として捉えられるものを映像化しようとしていたのでしょう。

 “意識”が常にそのような小さなサイズであるとは思いません。”意識”で捉える対象は多様だからです。私は国や地球の未来も観察しますし、宇宙意識(こういう名前でいいかどうかは分かりません)にも接続します。 “気(エーテル)”を動かす時には大きく掴めるよう”意識”の形を広げます。

 “意識”は一般人にとって、決して利用していないものではありません。ただ能動的に利用していないだけです。考古学者や歴史家は過去に”意識”を飛ばして事物や人物の心を観察して知ろうとしていますし、SF小説家は未来に”意識”を飛ばしています。実験研究者は実験をしながらサンプルの状態を”意識”でも観察して知ろうとしています。そういった分かりやすい例だけでなく、日常の生活でも、注意深く何かをしようとした時には、”意識”は通常その対象にあるのです。

 一般人でも日頃無意識に使っている能力なので、後は能動的に使えるという事実を認識するだけで、一気に能力が多様に開花する可能性があるのです。

 私は、別のブログで、めざましテレビのめざましじゃんけんを1時間前に当てる方法を紹介しましたが、それは“意識”を時間を越えて移動させるもので、“意識”の能動的利用の一例です。“意識”には実体があることを事実認識し能動的に使うことを知った者にとって、決して高いハードルではないと申し添えておきます。

 また私は、別のブログで、“意識”の複数の感受性と働き掛けの能力を使うことで、幾つかの平行空間に跨る脳の諸器官の存在と役割を明らかにしました。そのうち1つの器官は一般には知られていないものです。これもまた“意識”の能動的利用の一例で、発見です。

 この発表の重要性と大きな可能性が分かってもらえましたでしょうか。この事実認識が世間に行き渡れば、全分野で、ごく普通の一般人が新しい能力を使い、新発見をし、一般人の世界観すらも変える可能性を秘めているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA